[季刊きもの]冬 第174号 南の風に呼ばれて
[季刊きもの]冬 第174号 好評発売中!
(株)繊研新聞社より発売されております
P84.P85 和裁のひろば 和裁士 山本秀司の沖縄染織紀行
「南の風に呼ばれて」
前に報告したコレとこれの時の沖縄旅行記が4回の連載で掲載されます。
発売されてからダイブ経ちましたので
第一回分ですが、長いので時間のある時読んで見てください。
南の風に呼ばれて 第1回「沖縄染織がつなぐ縁」 前編
「ぬぬぬパナパナ」(小田令子代表)という、
沖縄染織の若手を中心とする作家を支援している
ネットワークがあります。
私(和裁士)はお客さまと直接ふれ合いながら、
作り手の心が込められた布を
“衣”という形の生命を吹き込む最終工程の請負人です。
そんな立場だからこそ分かる世界があり、
作家たちに様々なアドバイスをしてお手伝いをしています。
その活動の中で、重要無形文化財に指定されている喜如嘉の
「芭蕉布工房」(団体指定、平良敏子さんは個人指定)
を巣立った人たち(この人も)との出会いに恵まれました。
そんな日々を送っていたある日、
きものの小売店の方から1本の電話が入ったのです。
「喜如嘉の平良美恵子さんからご紹介いただきました。
山本さんの工房を見学させていただけないでしょうか」
驚きました。
私はそのとき、美恵子さんとは面識がなかったのです。
ぬぬぬパナパナを通じた沖縄での私の活動が、
美恵子さんの耳に届いていたようです。
またお店の方は、本誌172号に掲載された
「芭蕉布の織り縫い」を見て、当工房を知っていたところ、
美恵子さんとの会話の中でも話題が出て、
今回の電話に至ったようです。
もう一つ驚いた理由は、このタイミングです。
10日後に私は、ぬぬぬパナパナの支援で
沖縄本島、石垣島、西表島へ行くことになっていたのです。
長い出張になるため、
その前にお店の方には工房を見学していただくことになり、
お会いする事ができました。
それから数日後、
当工房の新人君(女性)が電話の応対で首を傾げていた、
「先生、沖縄のキジョ!?のタイラ?さんという人からお電話です」と言う!
「おいおい君、それは大変な大先生からの電話だよ!」
(先にいただいてしまった) と、慌てて立ち上がる私。
電話の主は平良敏子さんではなく娘さんの美恵子さんからでした。
「急にごめんなさいね。山本さん、備瀬(沖縄本部)に来るんですって!」
えっ、何で知っているの!?
。。。。。。。。後編へつづく
平良敏子さんではなくお嬢様(お嫁さん)の美恵子さんからでした。
「急にごめんなさいね。山本さん、備瀬(沖縄本部)に来るんですって!」
えっ、何で知っているの!? そう思いつつも、
美恵子さんの気さくさに驚きと緊張が一気に解けていく。
私は以前、一竹辻が花の久保田一竹先生(先代)に
「君は備瀬の地へ行きなさい」
と言われていたのです。
そんなご縁もあったので、今回の出張を利用して
備瀬まで足を伸ばそうと、すでに宿を手配していました。
それが、ぬぬぬパナパナ経由で美恵子さんに伝わっていたのです。
「備瀬に行くなら、喜如嘉まで来ない?
できることなら、2日早く沖縄に来られない?」
と美恵子さん。
「その日に県庁で沖縄染織の各理事長が集まるの。
あなた、そこで少し話してくれないかしら。
知り合いの和裁師にも聞かせたいし」
と言うのです。
解けていた緊張が鼓動とともに繋がってきます。
普段は黙々と考えたり、手を動かすことが仕事なので、
人前で、しかもそんなに偉い人たちの前でしゃべるなんて、とても無理。
丁重にお断りしようと思ったのですが、
「母も所用(城間栄順さんの表彰パーティー)で那覇まで一緒に来るの。
用が終わったら備瀬まで送るから、3人で帰りましょ」
と、すかさず言い募ってくる。
那覇から喜如嘉までは約2時間。ついでとはいえ、
備瀬経由は更なる時間の掛る回り道なのです。
・・・本当にありがたい。
私にできる範囲ではありますが、その土地に少しでも
役立つように働かせていただくほかありません。
むしろ、初めての会話でそこまで言ってくださることに、
感謝の気持ちでいっぱいです。
あと数日しかない、
急きょすべての手配を取り直すのでした。
そして出発の前日のこと。
過日、工房を見学されたお店から仕立ての依頼を受けたのです。
いろいろと厳しい状況の中で、声をかけていただける。
感謝すること以外に何もありません。
嵐の様な目まぐるしさの中、
このことも報告できるという思いをもって、
突風に押されるように南国沖縄へ飛んだのでした。
第2回が載る[季刊きもの]175号は2月15日発行です。。。。